そうなんですよ。

そうなんですよ。

解き放つ世界

解放しないこと。価値を隠し、守り、離さない。これが、いままでの世界で勝つためのルールだった。しかし、これからは、このルールが通用しないかもしれない。価値は隠さず、守らず、離す。これが新しい世界の新しいルールだ。

たとえば、YouTuber、TikToker、Viner。彼らは新しいルールで戦っている。いままでのルールの住人たちは、彼らのような新しいルールの住人たちが不思議でしょうがないが、これは仕方がない。彼らのような新しいルールの住人たちも、いままでのルールの住人たちが不思議でしょうがないが、これも仕方がない。両者が交わることはない。ルールが、世界が、違うのだから。

 

カテゴリーをつくる

Aというカテゴリーがあるとする。通常、私たちはAというカテゴリーで、プレゼンスを高めようとするだろう。Aというカテゴリーで強いポジションを取るべく、多大な力をかけて、努力するだろう。その努力は素晴らしい。しかし、圧倒的に強い立ち位置を獲得するためには、既存のカテゴリーで勝負するのではなく、新しいカテゴリーをつくり出すのが重要だろう。つまり、Bというカテゴリーをつくり出すのだ。そして、そのカテゴリーでトップの地位を守り抜く。それがブランドになる。

といっても巨大なカテゴリーをつくり出す必要はない。「AというカテゴリーがあるのでBというカテゴリーをつくる」のは強者の戦い方だ。大きな資本や権力、名声などがなければ、そのようには戦えない。個人にできることは限られている。Aのちょっと横くらいのカテゴリーを作りだすくらいで充分ではないか?

解釈世界

わたし達人間は「解釈世界」で生きている。

文章やものごとの意味を、受け手として理解することで、この世界は回っているのだ。レストランで食事をすませた父親が「早く」と言えば、子供はご飯を急いでかきこむ。国会議員が「静粛に。」と言えば、喧騒に包まれた議会は落ちつきをとりもどす。時もある。「たばこ。」とコンビニの店員さんに言えば、店員さんはケースからたばこの箱を取り出し、持って来てくれるだろう。

だからなに?
それがどうしたの?

そう思われるかもしれない。たしかに人間が「解釈世界」で生きているからといって、日常生活で特段こまることはない。子供を急かすことも、議員を静かにさせることも、たばこを持って来てもらうこともできる。しかし「解釈世界」に生きていると自覚しないと、時に大きな問題を抱えることになる。

続きはいつか書く。かもしれない。

 

言語と概念

何気無く、人間は言語を使用する。しかし、言語は強制力をもった檻のようなものだ。使用する言語によって、人間の思考は枠にはめられる。ある物事を、スペイン語で考えるか。英語で考えるか。日本語で考えるか。ドイツ度で考えるか。用いる言語によって、思考のプロセスも、結果も、変わるだろう。日本語を用いるのであれば「日本語」が思考をかたちづくる。「細い」、「柔らかい」、「鉛筆」、「袖」。これらは意味をもった概念として言語化されている。人間は、ほとんど気づかないうちに、言語を通して概念を取り込んでいるのだ。また、優れた言語能力を持っている人間は、言語から概念を取り込むだけでなく、概念から言語を産むことがある。似通ったものの共通部分をぬき出し、言語としてパッケージングするのだ。

 

順番

スキルを体得する。その上でスキルをつかった仕事をする。世間ではこの考えが浸透しているようだが、どうも納得いかない。ケースバイケースだろうが、経験は実務でしか積みあげることができない場合は、まえもってスキルを体得することに労力をかけすぎない方がいいのではないだろうか。最初から小さく戦ってもいい。実務で悪戦苦闘する。なんどもなんどもわからない壁にぶつかりながら、教えてもらいながら、戦う。その過程でスキルは身につく。

ある程度スキルを学んだら、さっさと実務に飛び込むのが、実は効率がいいとおもう。

希少性

希少性は価値だ。「多い」は希少性が低い。大勢がまねできるものは、すぐに「多い」になる。だから分け前は少なくなるし、そのうちもらえなくなる。逆に言うと、「多い」から脱出することができると、希少性を高めることができると言えるだろう。しかし悲しいかな。人の世は移り行く。時代は変わる。あるときまでは希少性が高かったものが、いつしか一般化して、希少性が低くなることがよくある。希少性には消費期限のあると言っていいとおもう。だから勝つのは「それは自分にしか提供できないか?」をいつも自分に問い続け、仮説を立て、その仮説をもとに他者に問いかけ、そこで得たフィードバックをもとに自らを変化させ、「多い」からハズれることができることができる人。かもしれない。

変化の激しい時代

世界は努力が身を結ぶドラマに溢れている。しかし不確実性を増す混迷を極めるこの世界。努力すれば結果がついてくる?ほんとうだろうか。世界は変わり続ける。常に変わり続ける。昨日の常識は今日の非常識になっているかもしれない。生き残るのは昔のルールから脱出して新しいルールに適応した者だとおもう。

 

では新しいルールとはどのようなものだろうか。まず「場所」選びが重要だ。「伸び」を見極め戦う。沈みゆく船で戦うのは困難だろう。変化が激しい時代だ。これからを切り開く「場所」で努力しよう。そうすれば報われる可能性が高い。そのためにはアンテナを張り情報を受け取ろう。イキのいい情報を受け取ろう。昔の情報は避けよう。

そして世界のニーズにパッケージングして世に出すんだ。求められる情報を出すんだ。自己満足になってはならない。マーケットは正直だぞ。

 

 

厳しい世の中だ。だがきっと生き残れる。死力を尽くせ。さすれば道は開かれん。